昨日送った手紙

11月の17時ごろになると木がざわめくことを、私は長い長い春と夏の間に忘れてしまっていたみたいです。背後を気にして歩く感覚が季節を先に歩いていた私を追いかけ続け、それは捕まえたついでにと私のワンピースの裾をつまんで自転車に引っ掛けるのでした。

 

思春期にありがちな閉塞感を抱えつつ、やはりそれはなにか物体として昇華されるべきだと私にはよくわかっています。私には全部わかっています。自分が極端なことすら。けれども私がなりたいものというのは本当に知識や論理でなれるものかとよく考えます。考えたところで結論を出さず、現実世界に持ち込まないのであれば無意味なのかもしれません。昨日「アメリ」のリバイバル上映を観てきました。運命などというものは誰かのひらめきや思考であり、意図のある行動なのかもしれません。運命はきっと手作りです。過去の日記で、「自分の頭の中が1番楽しくて、1番苦しいの」と書いたことがあります。空想の中では好きなように事件を起こし日常を送れるのだから、これは当たり前の事なのでしょう。

ここ数ヶ月よく夢を見ます。きっと眠りにつく直前まで会話のシュミレーションを続けるせいです。夢の中で君から返信が届きます。何通も、別のタイミングで。君は笑っていたり、怒っていたりするのでした。私の夢の吹き出しの中でなぜか君は卒業アルバムの写真のフレームのようなところに収まっていて、少しあごを出して小首を傾げ、綺麗な形の口角を上げているのでした。君がそんなところにいるのは、夢の中のきみが、生きていないからなのでしょう。

わたしが返した何通ものお手紙はどこにいってしまったのでしょうか。誰かがまた作り出している分岐の先で、巡っていることを願います。

私は1人で胸を張って歩けない分、誰よりも君の隣を大切にしようと思います。その君が誰なのかは、誰も知りません。

岡崎京子の「私は貴方のオモチャなの」も素晴らしかったけれど、これもちゃんと言葉にしたいと思うから、きっとまた書きます

 

おやすみBGM…

愛し愛され生きるのさ/小沢健二

クロニクル/フジファブリック