おまえみたいなバカには私のパンクはわからない!💢💢💢(激踊り)←サイコーすぎてワロタではある

指がかじかむ感覚で目線が地底に固定される
お昼下がり わたしと漂流する教室はひとつの行き止まりへと辿り着きます。わたしは結局言いたいことなんてないんでした、「みんなが私のこと嫌いなのわかってる でも私だってみんなのこと好きじゃない」だったんでした、桜の木になりたかったんでした、全部忘れかけてた

夢を見たところで


公開日にゴーストワールドを見に行きました 最前列だった

イーニドが退屈と自分をを持て余すばっかりに周りを振り回して困らせて、最後はやっぱりひとりぼっちになっちゃったね…って自分に覚えがありすぎてアー…とおもいました でも家に帰ってお母さんにそれを話したら、(お母さんは大学生の頃あたまを緑色に染めていた)あれはイーニドが自分で一歩踏み出した明るいエンドだと思うと話してくれた

狭い場所にいても「その中で」おもしろい人としか出会えないんだそうです だからイーニドはヘンテコなおじさんに恋心なんて抱いてしまうし、レベッカは期待したよりずっとまともな人生を送る 

女の子2人の映画じゃ無くて、みんなの映画でも無くて、思ってたよりひとりひとりだったって言ったら学校ってそういう場所だったでしょうと言われた

息がしづらい場所にいるときっとそうなってしまうんですね サントラは廃盤になっているレコードの曲(監督の私物)ばかりらしく、たぶん監督さんもクソサブカルなことを考えると確かに自省だけではなくて そのつまんねー場所なんかにいなくたっていいんだよと言ってくれてるのかもしれないなあ、と思ったりしました

疎外感というのは退屈と情熱を産みます でも自分はもうそういうの感じたくないなー

千葉県の隅っこで、体育座りで、考えすぎちゃってきたような気がします 傲慢か

 

 

ママはどんなにゴミ映画でも最低2時間はそれについて喋りたいと言っていてめんどくさい彼女みたいで良い 君の声でそれが形作られるなら、聴いていたいなあとおもいました


また知りたい事が増えて、わたしはこの世のすべてを君と話し尽くしてしまいたいと思うようになる わたしがいなくなった時にはわたしが全てを知っていたせいで、君の世界にはわたしの手垢がついたものしかなくなっていたらいいです。そうしたら君はきっともう何も喋れなくなっちゃいますね わたしと君だけで結ばれた物語があるという事実があるとするならば、それはそれはすばらしいことです。

 

怯えるっていうのは素敵なことですね。もちろん幸せに躊躇なく飛び込むことはパーフェクトな行為なんでしょう。でもきっと、何かを恐れることで保たれる幸せのバランスも存在すると思うのですね。というか、幸福には恐怖がついて回るということでしょうか

忘れるのが怖くて抱きしめた気持ちとか、ひとりになった電車のなかで怒ってくれた歌声があったりする

六畳の隅でメソメソしている時は自分のことかっこわるいとしか思えないけど、そういうのも忘れるのもったいないと思うのですね だってそこにはいつだって君がいますから

 

 

まとまんなくなってきたのでおわらせます

よいパンク日和を!( i _ i )

写真縦なのウケる

 

 

 

おやすみBGM…♩

向かい合わせ/aiko